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​本

ガイド

​国家資本を組み替える「言語革命」を

日本語に主語はない。
人称も​コプラもない。
現代日本思想・国語学の土台が転倒している。
言語を考えることは、思考・技術・国家・経済総体の見直しになる。​

​『述語制の日本』全3巻の第1巻
607頁 3800円+税

​ISBN 978-4-938710-00-2  

【問い】

ある」は品詞は何ですか?

  ➖➖動詞です。

「ある」の否定形は何ですか?

  ➖➖「ない」です。

それでは、「ない」は動詞ですか?

  ➖➖いえ、形容詞です。

なぜ、動詞なのに否定形は形容詞なのですか?

説明してください・・・・・

日本語に、動詞・形容詞の区別はないのです!

品詞」を立てること自体が、問題です。

​間違い体系の学校文法から脱すべく、本シーリーズものを読まれてください。

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​新たな日本語論

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『述語制の日本』第2、3巻のドラフトエッセンスを明示。

2020.1.20発売 

近代における日本語大転換を問い直す。

​2020.10発売 1500円+税 新刊

​この書が書かれるにあたって

商品の物象化は、制度の物象化、社会の物象化を産み出し、

言語の物象化と手を携えて、

​産業的な発展のみに貢献はしてきたが、文化をなおざりにし、資本を忘却するエコノミーにおいて、賃労働者としてのみ社会に生きられうるとしてきた。

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経済の地盤は資本。
​商品ではない。

産業的な商品生産様式と場所的な資本生産様式が異なるよう、主語制言語様式と述語制言語様式は異なる。言語生産様式の視座を持つこと。

政治の軸は
場所の
述語的統治制。
国家支配ではない。

​政治は、社会を自然性化し、国家統治が全てであるかのような転倒をなし、場所ごとの多様な可能性を社会一元空間へ均質化してしまった。

​主語制言語様式による統治と述語制言語様式による統治とは異なる。

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単行本品切れのため、

新書にて新版(8月刊)

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あるべき

技術科学の機軸は

述語制科学である。

​もはや主客分離の

客観科学ではない。

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矢野雅文氏は科学論から述語制を開いています。

​日本の伝統技術やアートは非分離の述語制技術です。

​これらが日本において、転倒し、行き詰まり、停滞しているのは、
​日本語に主語があるとしている、間違った「主語制」文法を、日本人が教えられてきて、自分の言語を自分で誤って理解し、思考し、使っているためです。

主語制言語の国家資本への集中化は、山本国家論5部作で明証に解析されています。

​日本人のほとんどが自分の使っている日本語を説明できない。自分が自分であることを知らないのですから、経済も政治も技術も教育も個人もおかしくなるのは不可避になっている。言語とは自分が知らずに語るものだという次元ではない、間違った認識において言語を使用している。主語制言語認識で行動しているからです。

述語制に無効な国語学・言語学は、時枝文法、橋本文法。

​そしてチョムスキー生成文法です。なんら普遍性を有していない。

​著者
video
18-16/11

主語性認識言語をはっきりと批判し、

​正しい述語制言語をとりもどしましょう。

​言語様式が違えば、世界も違って見えてきます。日本語は述語制言語なのですから、間違った主語性認識を捨てることです。

​three great SAVOIR

​正しい日本語文法を説いた3人の偉大なる国語学者がいます。

​述語制言語の礎石になる語法言説です。

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松下大三郎

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​佐久間鼎

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三上 章

​さらに、言語理論のすぐれた思想があります。

01

イリイチ
​バナキュラーな言葉
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02

ブルデュー
​言語交換エコノミー
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03

吉本隆明
​<表出>論
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​そして、フーコー『言葉と物』、バンヴェニスト『一般言語学の諸問題』『主体と言語』です。さらにラカンのシニフィアン理論です。

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フランス現代思想は、近代の主客分離の主語制世界を根元から批判していますが、言語自体が主語性言語のため、その壁を突き破れない。

バンヴェニストは第三人称もないことを明示。

​主語は欧米にても疑われている。

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​『述語制の日本語論と日本思想』は、こうした世界線の言説をベースに、論述されています。

イェスペルセン、イェルムスレウ、メイエの言語理論を一般文法へのクリティカルな​視座から検証。

安田敏朗、長志珠絵、齋藤希史たちのすぐれた近代国語・言語史研究成果を学び、主語制言語の<国家語>編制を​批判。

​主語制言語様式は、国家資本へ構造化され、共同幻想国家化の認知構造を支え、経済的再生産、制度的再生産、そして文化的再生産の再認基盤になっています。

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​そして、言語は、<もの>からの疎外表出であって、その疎外にあたって文化規定を被ります。

​こうした考察のうえで、日本の文化基盤にたち、江戸期の言語論をもって、

<述語制>を開きます。

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​本居春庭を規準点において、

契沖、賀茂真淵、荻生徂徠、富士谷成章、宣長、鈴木朖、東條義門らの詞・辞や活用などを

<述語制言語>の基盤に据えていきます。

波

述語制言語の<大洋>の波頭に、

自らの日本語を取り戻し、

​認知・認識構造の自己技術を領有することです。

本を読まずして、映像や簡易解説でわかったつもりにしているのは、いつのまにか、近代150年の​主語制言語に汚染され、思考が植民地化されている効果です。

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​2011年

​(品切れにて、新書で再版)

​2019年

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